今、なぜビジネス界で「アート」が注目されているのか<デジタルトランスフォーメーションを考える30>
目次
VUCA時代に必要とされる「アーティスト(芸術家)」の視点
最近「アートシンキング(アート思考)」という言葉や、ビジネスにおけるアートの重要性を説く記事などをよく目にします。数年前には『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?〜経営におけるアートとサイエンス〜』(光文社新書)、『なぜ、世界のエリートはどんなに忙しくても美術館に行くのか』(SBクリエイティブ)などのビジネス書も話題となりました。ビジネスとアートとは対極にある言葉のようにも感じられますが、なぜここ数年、アートへの注目度が高まっているのでしょうか。
その背景のひとつに、昨今の社会情勢があります。経済が安定し、右肩上がりで成長しているときは、過去の経験を積みあげて未来を予測し、仕組みを作り上げて効率的に実行していくことが最も重要でした。しかし変化が激しく不安定な今のビジネス環境では、問題にぶつかったときに過去の延長線上でものごとを考えるだけでは、なかなか解決策を導き出すことができません(現在のコロナ禍がまさにそのような状況です)。論理的思考や分析に基づく思考だけでは革新的なアイデアを生み出すことが難しくなっているため、アーティストのような感性や直感、創造的な発想が重要だと考えられています。
また、STEAM教育の広がりもアートへの注目が高まるきっかけとなっています。STEAMとは、Science(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学)、Mathematics(数学)、Arts(芸術)の頭文字を取ったものです。STEAM教育の発祥は2000年代のアメリカです。科学技術分野の教育を強化し、現代社会の複雑な課題を解決できる人材を育成することを目的にSTEM教育というコンセプトが生まれました。しかしAIやロボットなどが劇的に進化するにつれて、未来に活躍できる人材には、数学やプログラミング、科学などの論理的思考力だけではなく人間にしかできない創造的な発想も求められるということで、STEMにArts(芸術)を加えたSTEAM教育が提唱され始めました。
ビジネスの世界でも、これまでは「MBA(経営学修士)」をもっていることがひとつのステータスとして評価されてきましたが、今のアメリカではMBAよりも「MFA(Master of Fine Arts・美術学修士)」を持つ人材の方が強く求められているという話もあります。こういった流れが、世界的にアートへの注目を高めています。
アーティストの視点とは、どのようなものなのか
冒頭に「アーティストのような感性や直感、創造的な発想こそが重要だ」と書きましたが、いわゆるアーティストと呼ばれる人たちは、一体どのような目で世界をとらえているのでしょうか。美術教師の末永幸歩氏は、著書『13歳からのアート思考』で次のように書いています。
「アーティスト」は、目に見える作品を生み出す過程で、次の3つのことをしています。
①「自分だけのものの見方」で世界を見つめ、
②「自分なりの答え」を生み出し、
③それによって「新たな問い」を生み出す「アート思考」とは、まさにこうした思考プロセスであり、「自分だけの視点」で物事を見て、「自分なりの答え」をつくりだすための作法です。 (末永幸歩(2020)『13歳からのアート思考』, ダイヤモンド社, P13)
現代アートや抽象画を見ていると、何を表現しているのかさっぱりわからず、アーティストたちが衝動的に作品をつくりあげているようなイメージをもつかもしれません。しかし多くの場合、作品は非常に緻密な論理をもって組み立てられています。アーティストたちは、社会を冷静に見つめながら自分なりの視点を付与し、これまでのアートの歴史や固定観念を覆すような独自の表現を生み出すことで、イノベーションを起こし続けているのです。
自分だけのものの見方や考え方で世の中に問題提起する、そのアーティストの視点をビジネスに応用することができれば、問題解決の突破口を切り開きイノベーションを起こすことができるのではないか、というのがビジネスにおける「アートシンキング(アート思考)」のポイントです。
どのように「自分だけの視点」を手に入れるのか
ではアーティストの視点、つまり、自分だけの感性や視点をもつ「アートシンキング」をどのように自分の中に取り入れたらよいのでしょうか。最初の一歩として誰にでも手軽にできるのが「美術鑑賞」です鑑賞するだけであれば、絵を描くのが苦手でもまったく問題ありません。自分で創作をしなくても、アーティスト独自の世界観から生み出される作品を鑑賞すれば、自分の視点とはまったく違う新たな視点に出会うことができます。
「そんなことを言われても、作品をどのように見たらよいのか、どう楽しめばよいのかがわからない」という方も多いかもしれません。美術鑑賞で重要なのは作品を「理解」しようとするのではなく、とにかくありのままを「観察」することです。もちろん作者の意図を理解しようという気持ちをもつことは悪いことではありません。しかし、それよりも自分がどのように感じるのかにフォーカスをあてることが重要です。そしてもうひとつ大切なことは、見たものや感じたことを「言語化」することです。
最近「対話による美術鑑賞」という手法が注目を集めており、ビジネスパーソン向けのワークショップなども各地で開催されています。「対話による美術鑑賞」では、複数の鑑賞者が作品を見ながら見たこと、感じたことを共に語り合いながら鑑賞を行います。一般的にはファシリテーターが介在し、鑑賞者の発言をゆるやかにつなげたり深めたりしながら、それぞれの鑑賞者が自分なり意味を作り上げられるように支援します。
実際に「対話による美術鑑賞」をやってみると、自分の目に見えたもの、感じたことをそのまま言葉にすることが思いのほか難しいことがわかります。日本では「空気を読む」ことや「正解を言う」ことが重視されがちなため、知らぬ間にそういった姿勢がしみついてしまっているのかもしれません。変なことを言って恥をかきたくないという思いから、ついつい「正解」を出そうとしてしまいます。しかし、作品の見方は一通りではありませんし、見ている作品に好感をもつ必要もありません。じっくりと作品を見て自分なりの文脈を完成させること、さらに多様な意見に出会い、人それぞれ見ている世界が違うことを知り、受け入れることがこの「対話による美術鑑賞」の目的です。自分ひとりでは気づかなかった色やかたちが、他の人の意見を聞いてはじめて見えるようになる不思議な体験ができる面白さもあります。
アートには「正解」がないので、何を感じるのも自由です。非日常のアートを通して立場や関係性を超え、自分の感じたことを自由に発言し、人の意見を聞くという体験を重ねれば、普段から自由な発言を受け入れようとする姿勢や多様性を受け入れる気持ちも養われていきます。たとえひとりで美術鑑賞する場合でも、言葉でアウトプットすることで、観察力や批判的思考力を身につけることができます
過去のデータを集めてロジカルに考えることも、もちろん重要です。しかし新たな価値を生み出すことが求められている今、過去を踏襲するだけではなく、従来の価値観に縛られない自由な視点も強く求められています。美術鑑賞はその視点を持つのに、間違いなく有効な手段です。世界の有名な経営者たちがアートに強い関心をもち、美術作品を収集するのにもこういった理由があるようです。
美術鑑賞をすればすぐにアートシンキングが身につき、すぐにビジネスに生かせるわけではありません。しかし、たまにいつもと違う脳を使って世界を新しい視点から見つめなおす体験は、必ずどこかで生きてくるはずです。三度目の緊急時代宣言下で、残念ながら東京では多くの美術館が休館していますが、ぜひできる範囲でアートに触れ、家族や同僚と語り合うことでアーティストの視点を味わってみてはいかがでしょうか。
筆者プロフィール
- 上智大学外国語学部卒業後、SAPジャパン株式会社に入社し、コンサルタントとして大手企業における導入プロジェクトに携わる。その後、転職サイト「Green」を運営する株式会社I&Gパートナーズ(現・株式会社アトラエ)に入社し、ライターとしてスタートアップ企業の取材・執筆を行う。2012年からフリーランスとして活動。
北海道札幌市在住。
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